わたしも小さな子ろば
マルコによる福音書11章1~11節 主イエスがこの世に来られた目的は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と、神が御支配される神の国・天国の建設です。その為に主イエスは身代わりとな… わたしも小さな子ろば の続きを読む
小松川教会の説教 主日礼拝の説教概要
マルコによる福音書11章1~11節 主イエスがこの世に来られた目的は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と、神が御支配される神の国・天国の建設です。その為に主イエスは身代わりとな… わたしも小さな子ろば の続きを読む
マルコによる福音書10章46~52節 聖書には様々な重荷や痛みを背負いながら、苦悩を抱えて生きている人々が多く登場します。主イエスはそのような人々の叫びに、憐れみをもって向き合い、関わってくださいます。癒しをもたらし、… あなたの信仰があなたを救った の続きを読む
マルコによる福音書10章35~454節 「人の子は仕えられるためにではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(45節)主イエスは罪と死の力に捕えられている人間を解き放つため… 何を願っているのか の続きを読む
マルコによる福音書10章32~34節 主イエスがご自身の死と復活を予告する3度目の場面です。ここでは十字架を目前に、鮮明に人間の罪が露呈されています。全ての人の罪を救う為に十字架の道を辿られる神の御子に対して、人々は侮… 3度目の正直 の続きを読む
マルコによる福音書10章17~31節 キリスト者としての目標は唯一つ、この世の幸せを求める事ではなく、天国を目指して歩む事です。神を求めて生きる人に神はこの世での人生をも必ず最善に導かれます。「ときが巡り来たれば実を結… 財産は悲しみのもと の続きを読む
マルコによる福音書10章13~16節 神の国・天国(神の御支配の下にある祝福の場)に入る事ができる人は多くの経験や知識をもって自立した大人や、努力、善行を積む事ではなく「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れ… こどものように の続きを読む
マルコによる福音書10章1~12節 結婚・離婚は古の昔から人の人生を大きく分ける重要な事柄です。人はまず自分の思いを中心とし、又、社会的な法律ではどう取り扱っているのか、と、人間中心に考えるものです。しかし、神を知って… 二人は一体となる の続きを読む
マルコによる福音書9章42~50節 「わたしを信じるこれらの小さい者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしま… 塩は良いものである の続きを読む
マルコによる福音書9章38~41節 「誰が一番偉いか」(35節)と争った主イエスの弟子達の一人であるヨハネは、自分達こそが主イエスの弟子というような特権意識を持っていました。又、神に精一杯仕え、仕えれば仕えるほど自分達… 一杯の水を飲ませてくれる人 の続きを読む
マルコによる福音書9章33~37節 主イエスはご自身が十字架にお架かりなる事を3度予告されましたが、本日の箇所は2度目の予告の直後の出来事です。十字架上の死が、いよいよ迫っていましたが、弟子達は依然として「だれが一番えら… 誰が一番偉いのか の続きを読む