十字架は神の力
マルコによる福音書15章16~32節 佐々木良子牧師 主イエスが十字架につけられる場面です。十字架刑を宣告された者は、自分ではりつけにされる十字架の横木をかつぎ、刑場迄の道のりを歩かなくてはなりませんでした。しかしこの… 十字架は神の力 の続きを読む
小松川教会の説教 主日礼拝の説教概要
マルコによる福音書15章16~32節 佐々木良子牧師 主イエスが十字架につけられる場面です。十字架刑を宣告された者は、自分ではりつけにされる十字架の横木をかつぎ、刑場迄の道のりを歩かなくてはなりませんでした。しかしこの… 十字架は神の力 の続きを読む
マルコによる福音書15章1~15節 佐々木良子牧師 「・・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ・・・」と、礼拝において使徒信条を告白しています。 主イエスは祭司長たちのあらゆる陰謀によって死刑にする… 群衆がイエス様を十字架へ の続きを読む
マルコによる福音書14章66~72節 佐々木良子牧師 弟子であるペテロは、主イエスとご一緒なら牢に入って死んでもよい覚悟があると、主イエスへの堅い忠誠を誓っていました。しかし、数時間後「すると、ペテロは呪いの言葉さえ口… 鶏が2度鳴く前に の続きを読む
マルコによる福音書14章53~65節 佐々木良子牧師 本来なら裁かれる側の人間が、裁かれるはずのない神の御子である主イエスを「死刑にするため」に、血眼になって「不利な偽証」を探しまくって裁いている宗教学者たちがいます(… へんてこな裁判にかけられるイエス様 の続きを読む
マルコによる福音書14章43~52節 佐々木良子牧師 人は一度の過ちにより取り返しがつかないことがあると思います。しかし、神は私達を忘れたり、見捨てたりはされません。それどころか「見よ、わたしはあなたをわたしの手のひら… 聖書の言葉が実現するため の続きを読む
マルコによる福音書14章32~42節 佐々木良子牧師 一般的に祈りとは、神との交わり、神との対話、思いを打ち明ける、時には恥も見栄もなく苦しみをぶつける事ができる時であると考えられています。しかし、目指すべき究極の祈り… 御心のままに の続きを読む
使徒言行録2章41~47節 佐々木良子牧師 「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に3千人ほどが仲間に加わった。彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(41~42節)ペンテ… 教会の誕生の出来事 の続きを読む
マルコによる福音書14章27~31節 佐々木良子牧師 「わたしは羊飼いを打つ、すると、羊は散ってしまう」(27節)羊は羊飼いを中心として一つの群をなし、羊飼いがいなければ生命の危機にさらされます。そのように主イエスによ… あなたは私を極め知っておられる の続きを読む
マルコによる福音書14章22~26節 佐々木良子牧師 主イエスは過越の食事の席で聖餐式を制定されました。この食卓を共にしていたのは、ユダを初め数時間後に主イエスを見捨てて逃げ出した弟子達です。聖餐式は主イエスを裏切る者… 主の晩餐に招かれているあなた の続きを読む
マルコによる福音書14章12~21節 佐々木良子牧師 主イエスがいよいよ十字架にお架かりなる前日の過越の食事、最後の晩餐の席で主イエスは裏切りの予告をされました。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたし… でかけて行くユダ の続きを読む