わが民は平和に住む
イザヤ書32章15~20節
主題聖句 『わが民は平和の住みか、安らかな宿 憂いなき休息の場所に住まう。』 イザヤ書32章18節
イザヤの目には、混沌とした世界が見えます。私たち人間は争い、破壊し、混乱を引き起こします。また、知らずに他のものの命を脅かし、その心身に傷を与え、差別をしてしまいます。「愚かな者は愚かなことを語り その心は災いをたくらむ。神を無視し、主について迷わすことを語り 飢えている者をむなしく去らせ 渇いている者の水を奪う。ならず者の手管は災いをもたらす。彼は謀をめぐらし 貧しい者が正当な申し立てをしても 乏しい者を偽りの言葉で破滅に落とす。」(イザヤ32:6~7)イザヤはそのような混沌の現実の中で、預言者の使命を与えられて、神に生かされています。
『平和聖日』は、世界平和のため、核兵器止の禁止のために祈る日です。日本は唯一の被爆国として、平和憲法を定め、戦争の酷さを伝えてきました。
今年の「平和聖日」を迎えることは、特別な思いがあります。超大国の指導者が、世界に向けて核兵器の力を見せつけました。ウクライナでの戦争は、核戦争の脅威を感じさせます。世界の滅亡、これから世界がどのようになるのか、今、世界は不安の中にあります。私たちの祈りは、争いが終わりすべての者が「平和」に生きることを求める「祈り」となっていきます。
イザヤの預言を改めて読み直しますと、今も同じであることに気づきます。愚かな者が支配し、虐げられた者たちは、虚しく今までの生活を捨て、安全な場所へと逃げて行きます。何時の時代でも現実は変わりません。
イザヤはこの中で、神様から「平和」の預言を与えられました。それは今、私たちにも与えられた神様の御心です。しかし今、世界は、神様の霊ではなく、怯え、逃げ惑う人々の姿、恐怖と怒りで覆われています。昨日までの日常は、あっというまに消え去ります。
「わが民は平和の住みか、安らかな宿 憂いなき休息の場所に住まう。」神様は私たちに、「平和の住みか」を与えてくださっています。どうか、住民として末永く住むことが適いますように。世界が平和の住みかとなりますように。
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