今日神の声を聞く
ヘブライ人への手紙3章7~19節
主題聖句 「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。」 ヘブライ人への手紙3章13節
ヘブライ人への手紙の特徴の一つは、旧約聖書を多数引用していることです。3章で著者が引用するのは、本来は新年を祝う時に歌われたといわれる詩編95編の7節~11節です。ここをイエス様のみ言葉への証詞として解釈し、用いています。
「かたくな」とは神のみ言葉に対して、「聞く事を拒否する、注意を払わない、鈍感である」、などの意味を持つ言葉です。聖書の中には多く使われます。
著者は、かつてユダヤの民は神様に不平不満を叫び続け、神様の約束を信じなかった、『かたくなな民』であったことを明らかにします。改めて「兄弟たち」と呼びかけるのは、この出来事は過去のことではなく、今既にイエス様の十字架の救いを知っている者、信仰者として生きている者に向けられたメッセージであることを示します。「かたくなな心」を放置していると、「信仰のない悪い心」神様の約束を疑う心、試みる心が生まれます。生きた神様との解離を気づかせず、神様からの招きに背を向けてしまう心です。それは信仰生活を脅かす重大な罪となります。
13節「…『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」。イエス様の約束を信じた者が、その恵みを、救われた喜びを分かち合い、時として「かたくな」になりそうな心を、共に励まし合い、さらにみ言葉に応答する者として歩む。それが「今日」信仰に生きるということです。パウロは「今日」とは『今や恵みの時 今こそ救いの日』を、実感することであると言っています。
「主の日」はイエス様が復活された「日曜日」だけではありません。信仰者の毎日は、イエス様とお会いする「今日」であるはずです。「今日」はみ言葉への応答を先に延ばしてはいけない日です。神様は「あなたたちは今日を生きよ」と励ましのお言葉をかけてくださっています。かたくなな心を捨て、「今日」もう一度神様の御声を聞きましょう。
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