永遠の命を得るため
ヨハネによる福音書3章1~15節
主題聖句『それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。』 ヨハネによる福音書3章15節
私たちの地上の命は神様から与えられた祝福です。「信仰」とは、神様の御許で永遠に生きる続ける希望があると信じることです。私たちの命は、この地上だけで終わるのではなく、永遠に続くものであると信じ、それと同時に、今、生かされている私たちの肉の命は皆ひとしく有限であり、必ず神様の御心によって死を迎える日が来ると知ることです。
「聖徒の日」記念礼拝では、かつて礼拝に共に招かれ、既に天に凱旋されて「聖徒」と呼ばれる「信仰者」の方々と共に、礼拝をお捧げします。
「信仰者」という名前は、私たちが最初から持っている名前ではありません。イエス様と出会ってからの名前です。それは、十字架の死と復活を信じ、罪赦され、永遠の命に向かって、生かされて歩む者たちの名前となっています。再会の希望に生きる者の名前です。
「ファリサイ派に属するユダヤ人の議員」、ニコデモの肩書は、ユダヤ人社会では敬虔な信仰者のしるし、権威ある者の証でした。しかし、彼は満たされない思いから、人目につかない夜にイエス様を訪ねます。イエス様はニコデモに、新しく生まれることを教えます。それは律法を守ることではない。ただ神様を信じること。行いによって救われるのではないと迫ります。
この夜の出来事は、ニコデモの生き方を変えました。聖書はイエス様のご遺体を葬った2人の人物のうちの一人を「ある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモ」と紹介しています。ニコデモは、誰も葬り手のないイエス様のご遺体を墓に納めようとします。彼の行動は、イエス様と出会い、信じ、そして、新たに生まれ変わった者としての証となりました。
「聖徒」の方々が一番望んでおられるのは、地上に残された者がイエス様を私の主と受け入れ、十字架の「復活」による永遠の命を希望と信じて、それぞれの人生を歩み続けることです。「信仰」に生きる者と変えられて、主の身元でいつか再び会うことです。
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