神の恵みがあるように

創世記43章26~34節

澤田 武師

主題聖句 「『わたしの子よ。神の恵みがお前にあるように』と言うと、ヨセフは急いで席を外した。」 創世記43章29~30節より
 ヨセフ物語の主題は「神様は共に居てくださる」ということです。世界を飢饉から救うために、そして、ヤコブの一族の救いのため、神様はヨセフを用いられました。波乱万丈の半生の中にも、そして、エジプトの司政者となった今も、神様は共に居てくださる。神様の導きをヨセフは信じています。
 ヨセフ物語は、クライマックスに近づいていますが、物語を読む者には「ヨセフの考えは分からない」と思える出来事が続きます。
 ヨセフは兄たちが、エジプトへ連れて来ると約束したべニヤミンの姿に“どうして”素性を明かさなかったのか。再会したベニヤミンに、「神の恵みがお前にあるように」と祈るだけで、ヨセフは精一杯でした。弟懐かしさのあまりに、感極まりながらも“どうして”平静を装い司政者として兄たちに対し続けたのか。古来より聖書注解者も、ヨセフの言動に様々な注解を記していますが、すっきりとした答えはありません。
 ヨセフは司政者として、兄弟たちと共に食事をするための用意を命じます。そこにはエジプト人たちも共に座ります。ユダヤ人とエジプト人が食事を共にするのは異例のことです。エジプト人は戸惑いを感じたでしょう。さらに、招かれた兄弟たちは年齢順に席が準備されました。なぜ分かったのか。兄弟たちは驚異を感じます。飢饉は続いていますが、ここに神様が備えてくださった豊かな恵みが表されています。本当の意味では、まだ隔たりを残したままの祝宴でしたが、一同は楽しんだと記されています。ここから神様の平安が満ち溢れる時となっていきます。
 すべての答えを知っておられるのは、全能なる神様お一人だけです。被造物には、この世の全ての事は知ることはできません。だから私たちはヨセフの行動を「どうして」と思うのかもしれません。神様は司政者ヨセフの言葉を通して私たちにも御心を示してくださっています。「神の恵みがお前にあるように」全ての人に示された神様の励ましのみ言葉です。
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