神は招く
創世記43章17~25節
主題聖句 『御安心なさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。』 創世記43章23節より
ヨセフ物語の根底には、ヤコブに寵愛されたヨセフと彼を憎む兄たち、誘惑を断ったヨセフと保身に走ったポティファルの妻など、二つの相いれないものが出てきます。しかしそこに神様は御心を表してくださった。神様はヨセフを通して、惜しみなく御心を示してくださっていることが啓示されています。しかし、それらの過去の出来事の中に、神様の摂理が示されていたことを、彼らは知ることはできませんでした。
兄たちは再びエジプトの司政者の前に立ちます。すると、司政者は、彼らと一緒に食事をするために自らの屋敷へと「招き」ます。他国人と食事を共にすることをいとうエジプト人としては、これは異例の招きです。ヨセフは、兄たちへの愛、弟ベニヤミンとの再会の喜びの祝宴を、執事に準備させます。この招きにも、ヨセフを通して神様の御心が示されています。
一方、兄たちは、司政者の「招き」に不安と恐れを、感じています。屋敷に連れ込まれ、ひどい目にあわされる。それは、袋に戻されていた銀のせいである。自分たちは正直である、誰が入れたのか分からないと懇願します。
執事は兄たちに「御安心なさい。心配することはありません。」あなたたちの手の中の“銀”は、あなたたちを宝の民とするための約束、神様が与えられたもので、既に銀は神様からの恵みに変えられているのですと、励まします。
不安や恐れに捕らわれている私たちにも、神様はそれらを希望に変えて、与えてくださっています。今日の私たちにも、神様は、神の宝を与えられる者とするために、あなたたちを「わたしの元に招いた」と言ってくださいます。
私たちは、十字架の贖いによって罪を赦され、永遠の命を信じる者となりました。十字架の基に、永遠の命が、神様の救いが示されていることに気づかされた者です。「しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことの無いようにしてくださいます。」神様は私たちをも励まし、
招いていてくださいます。
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