1月3日 礼拝説教概要

「主において常に喜びなさい」 フィリピの信徒への手紙4章1~9節
 この手紙はパウロが記したものですが「喜び」が繰り返し語られています。この手紙を書いた時は牢獄の中で死刑が宣告されるような厳しい状況でしたが、そのような状況にあっても彼は喜びの中で生きる事ができたのであなた方もそのようであって欲しいと願っていました。「喜びなさい」という意味は喜びの状態をずっと継続するという事で厳密にいえば「喜び続ける」事です。しかし私達は例え喜びの中にあっても不幸な出来事が起きると一気に消え去ります。それは自分の廻りで起きる状況に左右されているからです。つまり私達の日常の喜びとは受動的な喜びだからです。問題は喜びの置き所を間違えているからです。パウロはただ喜びなさいと言うのではなく「主において」を添えています。それは「主の中で」という事で、主の中において・主と共にある時に常に喜ぶ者と変えられていくと述べています。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、神は我々と共におられるという意味である」(マタイ1:23)の如く神は我々と共におられると、クリスマスの恵みを頂いたばかりです。私達の最終的な苦しみ・悲しみは死でありますが、その死をも打ち砕かれた復活の主が、墓を打ち破られたように、私達の悩みの現実を打ち破り、悲しみの中に閉じこもる私達を主イエスが、只中にまでおいでくださり、主イエスの守りと祝福の中に置いてくださいます。毎週礼拝において「我は主イエス・キリストを信ず」と告白していますが、私達は孤独ではない、という事を言い表しています。主イエスは嘆き悲しんで涙している傍によりそって共に涙してくださり、しっかりと握り締めてくださっている事を知っているから、私達はそこに喜びを見出す事ができるのです。悲しいから喜べない、のではなく主イエスが共にいてくださる事を確信し、そこにいてくださる喜びを見出して常に喜ぶ者としてこの1年共に歩ませて頂きたいものです。