実る時、実りのない時
創世記41章25~36節
主題聖句 「これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。」 創世記41章28節
無実の罪で牢に入れられたヨセフは、給仕長の夢を解き明かしますが、元の身分に戻った給仕長はヨセフのことをすっかり忘れ、2年の月日が過ぎました。その間にも神のご計画は進んでいました。二度も不思議な夢を見たファラオは心を騒がせ、夢を解き明かす知恵者を求めます。この時、給仕長がヨセフを思い出すのです。ここには神の摂理が働いています。ヨセフがファラオの前に立つためには、牢の中で給仕長の夢を解くことが必要でした。全ての出来事は必然であり、神のご計画は生きて働いています。
ファラオから「夢の解き明かしができるそうだが」と問われたヨセフは「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです」と答えます。ヨセフはエジプトで暮らす数年の間に、自分は神に用いられる器であることを自覚していました。ヨセフの夢解きによって、7年間の大豊作に続く7年間の大飢饉に備える準備ができました。
これはおよそ3600年前のエジプトの出来事です。しかし、わたしたちの毎日の歩みの中にも、自分の力ではどうしようもなく、何もうまく行かない日があるものです。反対に大した努力も無く全てが順調に進む日もあります。神の摂理の中で、わたしたちの力や知恵を超えて、物事が進んでいきます。
ちょうど、今のコロナ禍はそういう時かもしれません。わたしたちの祈りは、神様の御声を聞くよりも、神様のご計画を示してほしいと願うよりも、自分の要求の言葉の方がずっと多いものです。欲張っているわけではなく、特別な大豊作でなくてもいい、普通に実る時がずっと続いてほしい、と思うものです。
ヨセフに与えられた夢を解く知恵には、その具体的な解決策まで示されていました。ファラオとヨセフの間には信頼関係が生まれ、神から与えられた計画が実行されます。実りの時、実りのない時、どちらも神様の時です。神の摂理を信じ、神の御声を聞き、ご計画を求めていきましょう。
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