12月13日 礼拝説教概要
「冷たき世に」 ルカによる福音書2章1~7節
(1)私達に御自身の尊き命の犠牲をもって、救いを与えるために御降誕された主イエスに対してこの世が取った態度は、救い主を冷たく拒絶することでした。愛する故に、最大の犠牲である命をもって罪人である私達を救わんとした主イエスは、この世にお生まれになられた当初から、無視され、拒絶され、最後は十字架へと追いやられたお方でした。この言い難き的外れさ、冷たさは、私達自身の的外れさであり、冷たさです。
(2)人の業と神の業が並行して記されております。「アウグストゥス」は、ローマ皇帝の称号でもありますが、「威厳者」、「尊厳者」という意味があります。彼は皇帝としての尊厳をもって、住民登録の勅令をだ
しましたが、背後に神の御業が働いていることに気付いておりませんでした。結果、エレミヤやミカの預言が成就しました。またアウグストゥスやキリニウスも歴史上の人物ですので、神の御業は正に私達の歴史においてなされたのです。
(3)ヨセフという人物の守りがなければ、主イエスはお生まれになることができなかったかもしれません。夫ヨセフは婚約者が身ごもったことに苦悩したことと思います。けれども彼はこの現実を受け入れました。何故ならば、彼は、「正しい人」(マタイ1:19)であったからです。「正しい人」とは、「正しい人は、信仰に生きる」(ローマ1:17)とある「正しさ」です。すなわち、「正しい人」とは、「信仰に生きる人」です。私達は危機に立たされたとき、信仰を働かせることができるかどうかが問われることがあります。ヨセフのように振興を働かせることが果たして、その時、出来るでしょうか。
(4)「ところが」、マリアとヨセフには泊まる宿が与えられませんでした。結果、主イエスは飼い葉桶に寝かせられました。しかし、私達は心から感謝をもって、宿として救い主をお迎えしたいものです。