預言の言葉は輝く
ペトロの手紙二 1章16~21節
主題聖句 「わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。」 ペトロの手紙二 1章18節
ペトロは「主のお姿が山上で光輝いた出来事」を目撃した者です。その時、天から響く「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」とういう神様のお声を聞きました。このことは、ペトロには信仰の原体験となりました。イエス様は福音を託す者として、ペトロをお選びになりました。イエス様の福音を証しする者とされたペトロは、生涯、使徒として歩み続けます。
ペトロはこの体験を通して、旧約聖書の預言者の言葉は確かなものであることを確信しました。預言者は聖霊に導かれて、神様のお言葉を語ったのです。預言者の言葉を聞く全ての信仰者は、イエス様が再臨される時まで、預言者の言葉に留まり続けなさい、とペトロは勧めています。
私たちは今、「預言の言葉」を「説教」として「聞いて」います。教会で語られる礼拝説教は、預言者に託されたお言葉と同じように、今は牧師に託され、会衆は神様のお言葉として聞いていくのです。「自分勝手に解釈せず」、神様の救いの計画の成就者としてのイエス様の光を通して聞きなさい。これが預言者の言葉、説教の聞き方であると、ペトロは私たちにも語ります。
しかし、聖書の言葉をサタンも利用します。イエス様の公生涯の最初。イエス様はサタンから誘惑を受けます。サタンは聖書の言葉から意図的に抜き出し、表現を変えて、誘惑に用います。
私たちの周りには聖書の言葉に似たもの、聖書の言葉の意味を変えて教える者、聖書の言葉の解釈を意図的に変えることで、私たちを誘惑する「巧みな作り話」となるものがたくさんあることを覚えましょう。
生ける神様のお言葉を聞く者には、一人一人に福音が与えられます。それは、あなたの近くの方が今居眠りをしていても、他の事に気を取られていても、あなたにはどうでもいいことなのです。神様はあなたに語りかけてくださいます。そしてあなたはどう聞いているかが重要です。あなたも神様の目撃者となりましょう。信仰とは、父と子と聖霊なる三位一体の神様とあなたが、一対一の世界で生きることなのです。
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