主の御名をおく所
列王記上8章27~30節
主題聖句 「わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。」 列王記上8章28節
列王記上8章は、ソロモン王が即位して4年目に基礎を据え、そこから7年かけて作り上げた壮麗な神殿を奉献した際にソロモン王が奉げた祈りです。王の権威をいたずらに誇示することなく、イスラエルの民への愛が満ち、足が地についた素晴らしい祈りです。
祈りの初めにソロモンは「心を尽くして御前を歩むあなたの僕たちに対して契約を守り、慈しみを注がれる神よ」(23節)と呼びかけます。信仰者が心を尽くして神の御前に出ることと、神が慈しみを注がれることは対になっています。どちらか一つでは成り立ちません。
神は天地を創造されたお方で、その力も愛も恵みも無限のものです。しかしそれを受けるわたしたちは、有限の存在です。無限のものと有限のものがどうやってお互いを知り聖なる交わりに入るのか。神はその場としてソロモンの神殿に「わたしの名を置く」と約束してくださいました。
神殿を建てたソロモン自身が、そこに神が住まわれるとは考えません。その壮麗さや偉大さは人間の作るものでは表せない、神は偶像ではないのです。しかし神の名がそこに置かれるなら、信仰者は神が高い天にいまして祈りを聞いてくださると信じて平安を得ることができます。
現代では、教会がその役目を果たします。教会をギリシャ語で「エクレシア」と言います。これは場所や建物を表す言葉ではなく、「集まる」状態を表します。それも、ただ集まるのではない、「呼び集められた者」が集うことを意味します。わたしたちが主日ごとに教会に集うのは、神の聖なる御名の下で神の平和をいただき、信仰の友と共に喜ぶためです。
また、神の声を新たに聞いた人を迎え入れて、神の御前に案内するためです。ソロモンの祈りのごとくに、愛する人、心にかけている人のために、神の御名が置かれたところへはせ参じて祈るのです。祈りは、神様の存在を近いものにし、祈る者を変えていく力、祈る者を通して、世を変えていく力を持ちます。神の平和と光を身に帯びて、世に遣わされて行きましょう。
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