1月1日 元旦礼拝説教概要
「この年をどう生きるか」 申命記8章1~10節
モーセの指導によってエジプトを脱出したイスラエルの人々は40年に亘ってシナイの砂漠を放浪しなくてはなりませんでした。彼らは長い道のりの中、様々な不満は募るばかりで度々モーセや彼の兄弟に向かってつぶやきましたが、彼らの困窮は彼ら自身の問題でした。これでは奴隷状態の方がよっぽど良かったという言い分でした。エジプトにはパンがある、しかし自由はない。ここには自由があるがパンはない・・・どちらかを選ばなくてはなりません。パンもあり自由もとはいきません。そのような時に神は飢えに苦しむ彼らを憐れみ、空からウズラを落とし、砂漠にはマナを降らせました。
聖書の奇跡物語は手の指のようなものだといいます。突然砂漠にウズラが落ちてきたりマナが生じたり不思議な事です。常識的にいえば考えられない、どうしてそのような事が起こったかを知りたいと私達は思います。それを問う事は指の長さや太さを問題とする事ではないか、とある神学者は言います。大切な事はその指先はどの方向を指しているかという事です。その事を問う事の方がよっぽど大切であると言います。その重要な方向の一つは「人はパンのみで生きるのではなく、神の口から出るすべてのことば」です。人間はただパンだけでは物足りない、だからパン+アルファが必要という事ではありません。もっと深く突っ込んで神の言葉を本気で信ずればパンになる、信仰が本物である場合、生活は立派に成り立っていくというのです。
「神の国とその義を求めよ」(マタイ6:33)と記されていますが、新しい年、私達はどのような問いを問い続けるでしょうか。この年、かつてのイスラエルの人々のように疑いながら、つぶやきながら歩むのではなく「人はパンのみで生きるのではない」との御言葉を心から信じ、喜びをもって多くのマナ(奇跡)を見せて頂き、1年間大きく成長させて頂きましょう。この年がどのような年になるかは私達次第です。