心の底から新しく
エフェソの信徒への手紙4章17~24節
主題聖句 「神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」 エフェソ4:24
パウロの言う「異邦人」は、ここでは他民族というよりは、福音を受け入れず、神と関係を持たないことを自由と勘違いしている人々を指していると思います。知性の性質として、自分の知識だけで満足するともう成長しませんから、彼らの知性は暗くなる一方です。神の本質である光に背を向けるのは愚かなことだとパウロは言います。
ここでは、言葉の使い方が独特で、深い意味を含ませています。18節の「無知」には虚無、虚しさが含まれますし、「心のかたくなさ」では、本当の石の硬さを示す言葉を使っています。石は硬いから使い道がある。でも、加工ができないほど硬いのでは何にもなりません。19節の「無感覚」は、痛みを感じないという意味です。わたしたちは、神の息によって命を与えられた者ですから、神から離れると痛みます。その痛みを感じまいと、この世の楽しみに没頭するのです。ルカの福音書に出てくる放蕩息子がよい例です。
しかし、わたしたちは神の憐れみによって変えられ、「古い人を脱ぎ捨て」「新しい人を身につけ」るようになりました。キリストを着る、というのはパウロが好んで使う表現です。ここぞという時に、良い服を着ると背筋が伸びてしゃんとするように、キリストを着ることで、わたしたちの内面も変えられるのです。ここには、わたしたちの意志があります。
神様は、問答無用で心の中にずかずかと入ってくるようなことはなさいません。わたしたちが、救いを求めて心を開くのです。そこに意志があるから、信仰者は神の所有物となればなるほど、自由になるのです。
23節「心の底から」の底は、プネウマ「聖霊」を表す言葉が使われます。信仰者の心の底にあるのは、神の霊、神の息です。それが日毎に、毎秒、新しくされていきます。川の景色は同じでも、そこに流れる水は毎秒新しくなるように。新しい命の水に満たされて、遣わされていきましょう。
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