10月25日 礼拝説教概要
「執り成す人」創世記18章16~33節
罪と悪に染まったソドムの町を滅ぼそうとしている神にアブラハムは「本当に正しい者を悪い者と一緒に滅ぼすのですか?」(23節)と、神の御心を知る迄、神の前に立ち続けました。彼は塵芥にすぎない者でも(27節)祝福されている事を確信していますから(18節)敢えて神に向き合い神の御心・神の決断を求めていきました(23~32節)。
大胆に神にしがみついて訴え、必死に執り成す事によって絶望の中から神の御声を聴き取っていったのです。神の御心は、一人でも正しい人がいるなら全てを滅ぼす方ではない、という事でした。
神は昔も今も変わらず「お前を見捨てることができようか・・怒りをもって臨みはしない。」(ホセア11:8~9)と、誰一人滅びる事なく全ての人が救われる事を願っています。
独り子イエス・キリストを十字架につけるまで私達を愛してくださり、全ての罪を赦し全ての人を救いの中に入れてくださいました。 そして主イエスは十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と、私達が呪われないように執り成しの祈りを献げてくださり、今もこの執り成しによって全ての人々が支えられています。
このようにたった一人の正しい人、イエス・キリストによって全世界が今も救われ続けています。
イエス・キリストのようにアブラハム一人の存在を神は用いられましたが(19節)、約束の子供が与えられずに不信仰に陥った時もあり、すんなりここまできた訳ではありません。しかし、その試練から神にしがみついて、砕かれながら御心を聴き取っていく経験をさせて頂き、彼を執り成す者として成長させて頂いたのです。
私達も多くの試練の中で神と向き合って砕かれて、初めて御心を知る事ができるようになり、廻りの人々へ祝福の執り成し手としての役割を頂いています。その中に遣わされている私達である事を心に留め、用いられる事に感謝したいものです。