十字架の上の主

ヨハネによる福音書19章16~27節

澤田直子師

主題聖句 「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』と書いてあった。」 ヨハネによる福音書19章19節
 イエス様が十字架にかけられた時、右と左にも十字架が立ちました。ルカは、一人はイエス様をののしり、もう一人は罪を告白してイエス様の憐みにすがったことを記します。これは、マタイ25:32~33にある、イエス様の再臨の時に、全ての国の民が右と左により分けられるという予言を思わせます。イエス様はどこまでも、わたしたちが神の愛と赦しを理解できるように、あらゆる機会を利用して真理を伝えようとされます。
 イエス様が十字架に向かわれる場面のどこをとっても、イエス様の静かさ・平安さが際立っています。ご自分を辱め、暴力をふるう人々を、おそらくは憐みの心をもって見ておられます。
 この日を、律法学者や祭司たちは勝利の日として喜んだことでしょう。ピラトはそのユダヤ人への嫌悪感をあらわにして、イエス様の頭上に「ユダヤ人の王」という罪状書きを掲げます。2000年前には、この言葉はユダヤ人への嫌がらせでしたが、現代の信仰者であるわたしたちは、「神の選びの民の王」と受け取ることができます。また、それが当時の共通語であった三言語で書かれたという事は、全ての人に福音が告げ知らされるべきであることを表しています。
 イエス様は十字架の上から母マリアを見、弟子ヨセフに託します。イエス様はそのご生涯で多くの奇跡を行われましたが、一つとしてご自分の利益のために行われたものはありませんでした。そして、十字架の上でさえも、目に映る一人を救おうとされます。
 信仰者とは、この王をわたしの支配者だと心に定めて従う者を表す言葉です。信仰者の歩みとは、十字架の上でなお愛と赦しを行おうとするイエス様の道を、主と共に歩むことです。
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