おめでとう、恵まれた方
ルカによる福音書1章11~20節
主題聖句「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』そこで、天使は去って行った。」 ルカ1:38
クリスチャンではない方でも、マリアの受胎告知の絵を見たことがない、という人は少ないでしょう。当時の結婚年齢が14~15歳だったと言われていますから、マリアは「女の子」と言って良いような年頃です。また、聖書に書かれているマリアについての情報があまりにも少ないところを見ると、とりたてて言うところのない、どこにでもいる普通の女の子だったのだろうと思われます。ヨセフのことはマタイによる福音書に書かれていますが、これもわずかな情報です。神様はしばしば、特別な存在ではない者をお用いになります。
天使のお告げの大部分は、マリアには理解できません。唯一、自分が身ごもって男の子を産む、これだけはマリアにもわかることでした。ですから、マリアは素朴な疑問を天使にぶつけます。天使ガブリエルの答えは親切丁寧です。親類のエリサベトに起こった奇跡まで教えて、マリアの理解を助けようとします。神様がわたしたちを用いようとされる時、決して問答無用ではなく、わたしたちの理解に合わせて、わかる言葉で教えてくださるのです。
天使の挨拶は「おめでとう、恵まれた方」というものでした。しかし、これからのマリアの苦労を考える時、いったい何が「恵まれた」なのだろう、と思います。わたしたちの視野は狭いので、今のこと、自分のことさえも、全てわかっているとは言えません。けれども、そのわからない中で、「主があなたと共におられる」ということを実感するのではないでしょうか。外側で見物していたのでは理解できないことが、自分が飛び込んだ時に理解できるのではないかと思います。
神様は、決して、用いた者を孤独にはさせません。「共におられる」のです。何もわからないままに「お言葉通りにこの身に成りますように」と応答した時、苦難の中に「おめでとう、恵まれた方」というお言葉が聞こえるのではないでしょうか。
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