8月16日 礼拝説教概要
「決して忘れない約束」 創世記9章1~17節
「産めよ、増えよ、地にみちよ」(1節)と、創世記1章28節と同じ言葉が繰り返されていますが意味合いは異なります。罪ある人間を生かす為に、神がその罪を全て引き受けてくださり、私達が負わなくてはならない責任を神自ら担ってくださる、という新たな決意が込められています。その契約の印として虹を与えてくださいました。
虹を見たら神の祝福を思い出しなさい、という事ではなく、神があなた方の永遠の契約に心を留めてくださり、忘れないという事です。契約とは神からの恩恵で罪から全ての人を救い出してくださる行為です。偉大な伝道者パウロでさえ自分はどうしようもない罪人で、望む事は実行できずに憎んでいることをしてしまう(ロマ7:15)と、告白しているように「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」(8章21節)の通りです。誰もが同じ罪を繰り返し、何度も過ちを犯し続けますから神の恵みがなければ滅びるばかりです。恵みによって救われている私達です。
その恵みとは単なる愛とか思いやりというようなものではなく、神の苦しみ・痛みを伴った忍耐を指します。滅ぼす事は簡単ですが、愚かな人間を救い出したいという神の憐れみから、神自ら苦しむ事によって罪の責任を負ってくださいました。その象徴がイエス・キリストの十字架です。神は人のように偽る事なく真実な方ですから、既にキリストの故に「あなたを救う」と、心の隅々まで赦されている約束は確実です。自分の罪や不信仰に支配されずに、与えられた恵みを全身で受け止め、約束の言葉にしがみついていくのが信仰者の姿です。
信仰は微動だにしない確信みたいなものではありません。弱いなりに神に向き、迫って行けば良いのです。神の決して忘れない約束に対して、十分に応えられなくとも、それをも全てご存じで赦してくださっている神に精一杯感謝する事が、赦されている者の在り方ではないでしょうか。