生きた水が流れる

ヨハネによる福音書7章37~39節

澤田直子師

主題聖句 『わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が
        川となって流れ出るようになる。』  ヨハネによる福音書7章38節

 仮庵祭は収穫祭ですから、祭りの最後には雨乞いの儀式がありました。祭司が祭壇に水を注ぐ音を皆が聞いている中で、イエス様は「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」と招きました。イエス様は、雨を求める人々に、あなたの心は、魂は渇いていないのですか、と呼びかけたのです。4章のサマリアの女の話と同じです。
 イエス様に渇きを癒された信仰者に、次にどのようなことが起こるか。その人から生きた水が流れ出します。これはエゼキエル書47章にある、神殿の敷居の下から流れ出る水のイメージです。450m先では膝まで、さらに腰まで、最後には泳がなくては渡れないほどの大きな川となります。そして、両岸には木が生い茂り、いつでも実がたわわに実る、夢のように豊かな光景です。その水の流れるところではすべてのものが生き返る、そこには死がありません。
 わたしたちがイエス様のところへ行って飲ませていただき、次にはわたしたちの内から流れ出る生きた水は、このようなものなのです。
 わたしたちは、自分の力で渇きを癒すことはできません。わたしたちにできるのは、外から来る水を受け取ることです。イエス様のところに行くのは、イエス様が生きた水をお持ちだと信じるから、その水を必ずわたしにくださる、と信じるからです。いただいた水がいつ、流れ出るのか、それはわかりません。しかし高い山に降った雪が、春に溶けて地面にしみいり、伏流水となって遠くで湧き出るように、主は、わたしたちの渇きを癒すことで、わたしたちを用いて、誰かの渇きに届こうとしておられるのです。聖書では、たくさんの人がイエス様と食事をし、また癒され、教えを受けました。イエス様は高い所から見下ろすのではなく、わたしたちと共に居ることを望んでおられます。イエス様の生きた水をいただきましょう。
📢音声 途中で終っていますので、ご了承願います。