永遠の命に至る

ヨハネによる福音書4章27~38節

澤田直子師

 弟子たちはサマリアの町から食べものを買って帰ります。入れ替わりにサマリアの女は町の人々を呼びに行きます。弟子たちから食事を勧められたイエス様は 『わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある』 と言われます。まだ使徒として遣わされていない弟子たちには、この言葉の真意はわかりません。キリスト教には、頭で学んでもわからない、実際に自分の身に起こったこととして受け入れなければ理解できないことが多くあります。それを、わかりませんから信じられません、というのではなく、わかりませんが信じます、というところに信仰の力があります。
 35節 『刈り入れまでまだ4か月ある』 とはユダヤの諺で、何事もすぐに結果は出ない、という意味で使われます。ここでは、遠くの方に、サマリアの町から女に連れられてやってくる人々の姿が見えたのかもしれません。霊的な成長は、時を待たずに起こり得ることを示しています。ついさっき、ひとりの女性が救われました。もうすぐ、何人ものサマリアの町の人が救われ、2~3日後にはほとんどの人が救われるでしょう。
 イエス様は全き人でありながら全き神ですから、天に用意されている刈り入れの報酬が見えているのですが、地に住む人間にはそうはいきません。ヨハネ14:2~3にある、イエス様が天に用意してくださる父の家が、刈り入れ人の報酬です。この報酬のために、旧約聖書の預言者たちも命がけの働きを捧げました。地上の生活で働きが報われた人は多くありませんでしたが、皆、天上の報酬を信じて神に従い通し、その働きは今も手から手へと途切れることなく受け継がれているのです。
 サマリアの女の話を通して、目に見える奇跡はおこりませんでした。イエス様が疲れて座っておられた。サマリアの女と話した。女が町の人に話した。イエス様がそこにおられる、イエス様にお会いするというのは、これほどの力を生むのです。サマリアの女は、たった一度イエス様にお会いして、立派に刈り入れ人として用いられました。わたしたちにも、報酬は既に用意されています。召しに答える弟子となりましょう。
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