チャレンジャー

ルカによる福音書5章1~11節

ケルンボン日本語キリスト教会 佐々木良子牧師

 新たな召命を受けて、13年間実家のように慣れ親しんだ小松川教会から、皆さまのお祈りに支えられてドイツの地に赴任して、早いもので1年になろうとしています。ドイツへの派遣自体が大きなチャレンジでしたが、赴任してからは更に「沖に漕ぎ出しなさい」と主に背中を押されています。その事により主が御業をなさっている世界を、見せて頂いている毎日です。常識の限界、そして自分の限界が引き上げられ、信仰が新たにされ深められる幸いに感謝しています。
 本日はペトロを通して、沖へ漕ぎ出すことの幸いを共に学びたいと思います。ペトロたちは夜通し網を降ろしていましたが、収穫はありませんでした。そこで主はペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(4節)と、呼びかけられました。そうして「・・・しかし、お言葉ですから」と、従った結果「・・・おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。」(6節)と、記されています。
 そこには他の漁師たちもいましたが、主が声をかけられたのは先ずペトロです。主は具体的なことは語らず、今の場所から離れて網をおろしなさい、と仰せになっただけです。ペトロは先ず、この方にかけて従ってみようと一歩踏み出した結果、舟が沈みそうになる程の収穫を得ることができました。プロの漁師たちの経験からしてみれば到底あり得ない結果でした。
 しかし、主は人の価値観を破るお方です。そうでなければ、私たちの信仰の歩みは当にどこかで終わっています。主が書き換えてくださった人生設計へ方向転換していく時に、豊かな深みの世界へと広がっていくのが信仰生活の醍醐味と言えます。キリスト教は「この世の非常識が常識」と言われているように、正に主にある非常識を逸脱した世界が信仰の世界ですから、大いなる希望と期待をもつことができるのです。限界を覚えた所がチャレンジャーとしての新たな出発点となり、こうして何度もチャレンジしながら、私たちの信仰は育まれているのです。
 その後主は「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(10節)と宣言されています。私たちが努力してなるのではなく、主がそのようにしてくださるという確固たる約束です。主の為に用いられるということは、自力でできるものではありません。全面的信頼を置いて従って行った時に主がその働きを助けてくださいます。私たちは遣わされている場は違いますが、それぞれの場においてチャレンジャーとして一筋の導きの光を求めていきたいものです。