神の御心なら
使徒言行録18章12~23節
パウロの第2回伝道旅行の終り近く、コリントでもユダヤ人による迫害がありました。アカイア州の総督ガリオンは公平で冷静な判断をします。ガリオンは哲学者セネカの兄で有名かつ評判の良い人物でした。政教分離とも言える判決例によって、キリスト教は、暴君ネロの迫害(紀元64年)までの約12年間、福音伝道の土台を固めることができました。さらに、この時ユダヤ人に殴りつけられた会堂長ソステネは、いつの間にかキリスト者となって、パウロと共にエフェソに行っています。
イエス様の十字架を背負わされたキレネ人のシモンも、後には熱心なクリスチャンとなってパウロの伝道を助けています。神様のご計画は、信仰者だけに限定されるものではなく、全ての人が、信じようと信じまいと神様のご計画の中を歩んでいます。ですから家族や友人の未信者のために祈る時に何も心配することはありません。主に委ねて信じて祈りましょう。
船旅の都合でエフェソに立ち寄ったパウロですが、福音は歓迎され、エフェソの人々はもっと滞在して教えてほしいと願います。しかし、『神の御心なら、また戻ってきます。』 パウロの言葉も行動も、もはや何一つ自分の意志ではありません。同行したプリスキラとアキラをエフェソに残して、パウロはエルサレムに向かいます。それが神の御心だったからです。
わたしたちのささやかな日常にも、苦難があり恵みがあり、神のご計画があります。信仰者には思いがけないことが起こるものです。「神の御心なら。」この言葉を自分のものにできれば、何も恐れるものはありません。生きるも死ぬも、成功するも失敗するも、行くも留まるも、神の御心なら。
これはイエス様のゲツセマネの祈りです。『しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』 (ルカ22:42)聖書のあらゆるところに、同じ祈りがあり、ご計画に従う者を神は決して見捨てない、という証しがあります。神の御心を聞く耳を持ち、受け入れる心を持ちましょう。従う勇気が与えられるよう祈りましょう。