3月22日 礼拝説教概要 東海林昭雄牧師

「清算の時」 マタイによる福音書25章14~30節
 ⑴神は誰にでもタラントン、すなわち賜物を与えておられます。しかし賜物には違いがあることも明らかです。「タラントン」は、「能力」、「才能」を表しますが、それらが全てではありません。
 私達は親兄弟、生まれてくる時代も、国も選べることは出来ません。健康な人もいれば、病弱な人、障害を持って生まれて来る人もおられます。皆条件は違います。人生の条件を誰も決めることは出来ません。しかし誰にでも素晴らしいタラントンが与えられているのは事実です。
 大切なことはそれを発見し、用いることです。タラントンを発見するということは、人生の目的あるいは使命をそれを通して見出すことにつながります。なぜならば、神は目的をもって、一人びとりにタラントンを与えておられるからに他なりません。
 その目的をもってタラントンを与えてくださった神の御心に応えて行く時、人生は実り豊かなものになります。
 ⑵私達が人生の清算をする時、神がご覧になられる基準は、忠実であるということです。五タラントン増やした人も、二タラントン増やした人も「忠実な僕だ。よくお前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(21)と、同じ褒め言葉を頂いております。
 問題は一タラントン与えられた僕の態度です。彼はタラントンを用いずに穴の中に隠してしまいました。彼の心の中に何かふてくされたような信条を見ることができます。
 私達は「神の作品」(エフェソ2:10)であって、大量生産されるような「製品」とは違います。「神の作品」であるということは、私達一人びとりは、神にとって独自のものとして創造されたことを意味し、そこから私達の内にある無限の可能性を見出します。
 一タラントンの価値は、二十年分の給料ほどあります。大変な金額です。一タラントン与えられた僕の問題は、素晴らしいタラントンが与えられていたにも拘わらず、その価値を知らなかった点にあります。その愚かしさはこの後、自らのメシアを十字架につけて殺してしまった人々の中にも見出します。
私達はどうしたら抱きがちな不平不満から解放され、積極的な前向きの実りある人生を全うする事が出来るでしょうか。それは神がその独り子の命さえも私達の救いのために与えてくださり、復活された恵みを覚える時、私達は与えられているタラントンを神の栄光のために用いる者と変えられていくのです。