喜びで満たしてくださる神
使徒言行録14章8~20節
パウロとバルナバの伝道の旅はリストラという地へと進んできました。これまで行く先々で様々な迫害等に遭遇してきましたが、今回は「・・・パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って・・・」(19節)と、記されているように、これまでとは比べ物にならないほど危機的状況に陥りました。しかし、パウロたちはどのような過酷な状況であろうとも、常に神の恵みの中を歩んでいますから人知では計り知ることのできない体験をしたのです。
パウロたちはその地において生まれつき足の不自由な人を癒しました(8~10節)。その奇跡を見た群衆は彼らを神話の中の人物であるゼウスとヘルメスという偶像の神々に見立て、崇め奉ろうとしたのです(11~13節)。癒しは人間であるパウロたちの力から出たものではなく、あくまでも「神の恵み」によるもので神は人を用いてご栄光を顕される方です。
パウロたちは衣を裂き自分たちも同じ肉体をもった人間で、神ではないことを示し、神の御業を証ししたのです。更にこの事を通して、群衆が偶像から離れて、唯一の恵み深い生ける神に立ち返るよう呼び掛けました(15~17節)。何とか事態を収拾したものの、以前パウロたちを迫害していたユダヤ人たちがやってきて、先ほどまでパウロたちを神々にしようとしていた群衆たちをも巻き込んで石を投げつける行為に及んだのです(19節)。
パウロはこの出来事を、14年後に「第三の天に引き上げられた」と語っています。「わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。・・・彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。」(コリント二12:2~4)。神の恵みがあまりにも偉大な故に、パウロ自身がこのことを通して英雄になることを恐れ、他人を装って記しているほどです。
私たちの信じている唯一の神は、人の世界を超絶した絶大なお方です。神は石打ちで殺されるような目に遭遇したパウロを守ってくださり、そればかりではなく、誰も経験したことのない啓二を与えられました。
信仰者はこのような神の恵みに出会わせて頂き、人知では計り知れない神の偉大さが次第にはっきりと分かるようになり、喜びに満たされて生きていきます。これからも永遠にそのように生かされていくのです。