神の導きはすごい
使徒言行録13章1~12節
主イエスが仰せになったように「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤ全土で、また地の果てに至るまで…」(1:8)と、12章までユダヤとサマリヤ全土までの宣教の業を共に学ばせて頂きました。13章からは、いよいよ世界へと宣教が拡大していく様子が記されています。「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい』」(2節)と聖霊が直々に彼らを指名して、最初の伝道旅行に遣わしました。
彼らはアンテオケ教会のリーダー的存在でしたから、教会にとって大きなダメージで身を切られるような決断であったかと想像できます。そのような時、教会が行ったことは「そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」(3節)と、まず祈り、神の御心を確信して、二人の上に手を置いて送り出しました。手を置く=按手とは、祈りにおける共感と支援約束です。遣わされるバルナバとサウロの背後で祈り支え「私たちの代わりに大切な奉仕を務めてください」と、宣教の業を共に担うという意思表示でもあります。彼らはこのようにして「聖霊によって送り出された…神の言葉を告げ知らせた。」(4~5節)と、聖霊による力、権威、絶えざる導きによって遣わされました。宣教の業は遣わされる側も、送り出す側も双方の聖霊による密接な関係こそが、大切な原動力となっていきます。
そうして送り出された二人がすぐに直面した問題が、魔術師でバルイエスという偽預言者でしたが、「聖霊に満たされた」サウロの言葉によって、打倒されたのです(9~11節)。伝道が進展し門戸が開かれる時に、必ず障害や問題に直面します。それに対抗できるのは、人の力や知識ではなく、聖霊なる神のお働きのみです。ですから伝道に直接携わる者と、背後で祈る者の聖霊による二人三脚がなければその御業を進めることは不可能です。
「総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った」(12節)と、サウロを通して働かれる聖霊の業により信仰へと導かれたという素晴らしい報告が記されています。神の言葉が語られる所に聖霊の働きがあり、聖霊の導きのある所に祈りがあります。宣教は第一線で神の御言葉を語る者と背後で祈る者とが一つとなって開かれていく道です。そうして聖霊の御業を益々体験させて頂き祝福の命の道が開かれていきます。