神の御前に生きる
使徒言行録4章1~22節
キリスト教の歴史は迫害の連続で殉教者も多く出ましたが、尚、このように2000年以上も福音が世界に宣べ伝えられているのは、神の言葉が真実であるという事が証明できます。又、どのような暗闇であっても絶望的状況であっても、神の御前に生きるならば、恐れるものは何一つないということをペトロは証ししています。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(19~20節)
いよいよ伝道が本格的に開始されましたが、ペトロとヨハネはユダヤ人の最高議会に尋問を受け捕われました。しかし、「聖霊に満たされて」主イエスを大胆に証ししたのです。かつて主イエスは、捕われの身となっても聖霊が語らせてくださるから心配する事はない、と仰せになった通りです(マルコ13:9~12)。常に神に向かって生きている者には、必ず神の助けがありますから恐れる事は何もありません。しかし、ペテロといえば、主イエスが十字架に架けられる時、3度もキリストを知らないと、見捨てて逃げてしまった人です。しかし、彼は死者の中から復活されたキリストの希望の恵みを体験し、全く違う人間に変えられていました。それまでは人を恐れ自分の身を守るために主イエスを見捨てることをも厭わない者でしたが、神を畏れる者とされた彼は危険をも顧みずイエス・キリストの十字架と復活を証しする者へと変えられたのです。
「…ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということが分かった…一言も返せなかった…脅しておこう」(13~18節)議員たちは聖書の専門教育を受けていない二人が聖書を自由に用いて大胆に語っている姿に圧倒され、そこに主が働いておられることを理解しました(10~12節)。議員たちは神を知る事となったと同時に自分達が完全に信頼を失う事を恐れ、更に厳しく脅かし始めました(17節)。しかし、ペトロたちは屈することなく更に大胆に語り続けます(19~20節)。神の前に生きる姿と人の前に怯えて生きる対照的な姿です。大切なことは自分が置かれている状況ではなく、そこで何を信じ、何を考え、どのように生きていくかという事が問われます。神に向かう生き方をペテロたちは示す事となりました。主イエスは「人に惑わされないように…」と仰せられました。