クリスマス礼拝 「神我々と共にいる」

マタイによる福音書1章18~28節

佐々木良子牧師

 全人類の罪を救うためにこの世にお生まれになったイエスさまのご降誕をお祝いするのがクリスマスです。その背景には、主なる神から人間の常識からは受け入れられないような無謀な課題をマリアとヨセフは突き付けられました。しかし、その先には人間の知識、経験、常識を超えた所にある思いもよらない祝福と恵みが準備されていました。神を信じて委ねる事のできる者に与えられる豊かさと確かさです。
 マリアは結婚を前に突如妊娠していることを告げられました。「どうして、そのようなことがありえましょうか・・・」(ルカ1:34)ヨセフは、自分の相手が知らない所で妊娠したと聞かされ、「夫ヨセフは正しい人であったので・・・ひそかに縁を切ろうと決心した。」(19節)と記されています。当時、結婚をしていない者が妊娠するという事は姦淫の罪として死刑となる出来事でした。身に覚えのない二人は到底受け入れられません。
 ヨセフは「正しい人」とありますが、人は自分の正しさだけでは乗り越えられない、解決できない事が人生に起きてきます。そのような時私たち人間が出来る最大の事は、明日を導かれる神を信じて飛び込んでいくことです。マリアもヨセフも様々な不安恐れはありましたが、最後は信仰をもって一歩踏み出したのです。信仰とは神の招きに応えることです。ではその根拠はどこにあるのでしょうか。
 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ぶ。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(23節)これからあなたたちには神が共におられる人生が与えられるから大丈夫だという事です。「インマーヌ」とは、「わたしたちとともに」という意味で、「エル」とは、「神」がという意味です。私たちと共にいてくださる神が招いてくださる世界は、たとえそれが試練であったとしても、どんな時にも見捨てず寄り添いながら一緒にその世界を切り拓いてくださいます。彼らはこれから先、どのように導かれるかは分からないけれども、全き信頼をもって身を委ねました。
 私たちも自分の思いと経験では解決できない事に遭遇します。しかし、人間の限界を超えた所にある神の力、自分にない確かさが神にあります。信仰をもって未知の世界への扉を開けて、新しい年も神の無限の力に期待したいです。