耳にすると実現する
ルカによる福音書4章16~21節
旧約の時代には「ヨベルの年」と呼ばれている、50年に一度「主の恵みの年」が設定されていました (レビ記25章)。奴隷となって捕われている人々、借金で苦しんでいる人々、差別などを受けている人々が無条件で軛から解き放たられ、格差が正される恵みの年です。全てが帳消しにされ皆と平等に同じスタートラインに立てられる唯一の希望の時ですから、どんなに待ちわびた事でしょう。
このような解放の恵みの出来事は旧約時代の人々だけではなく、キリストのご降誕によって、今の私たちにも既に実現しています。しかも50年に一度という限定ではなく、天国に帰る迄永遠に与え続けられています。「・・・主がわたしを遣わされたのは、捕われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(18節) と、主イエスは仰せられます。
人は皆、罪人で神と敵対し罪の奴隷として捕らわれの身ですが、神は主イエスを十字架につけるまで私たちを愛され、キリストの十字架を信じる者を無条件で罪を赦し、神の栄光を受ける者としてくださいました。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています。ただ、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ロマ3:24)罪の縄目から解かれ、あらゆる抑圧から解放され神にある自由を頂いています。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(ルカ4:21) 聞くとは、聞いたみ言葉を通して神の出来事が起こるように聞くことで、御言葉を聞いたように従って行動するという事です。受胎告知の際「・・・お言葉どおり、この身になりますように。」(ルカ1:38)、との御言葉を思い起こします。マリアの如く人間的な常識、経験を超えて従う事が、聞き従うという事で、そこらから御言葉による新しい祝福の世界が開けて行くのです。
キリスト者は無条件に一生涯、神による罪の解放の宣言を聞き続けますが、同時に神に対して、負債=愛の借金を抱え続けていきます。故に今度はこの愛を神に返して行くように生きるのです。神の愛には感謝できますが「あの人は赦せない」では赦しの御言葉を聞いたとは言えません。内にある自分の愛では無理ですから「私たちの内に住まわれる聖霊」に依り頼み(テモテⅠ1:14)、神の愛が実現するように祈るのみです。その先にはクリスマスの祝福があります。