「あなたは理想の人になれる」 ヨハネ 1:35~42
ローマカトリック教会の総本山、サンピエトロ寺院は、聖人ペトロにちなんで建てられた教会です。
しかしかつてのペトロは、主イエスが十字架に架けられる時、裏切るような人物でした。主イエスは全てをご存知の上で、彼の可能性・未来を見据えて「あなたはヨハネの子シモンだが、ケファ(ペトロ)と呼ぶことにする」(44節)と、断言されました。「あなたを・・・する」これこそが全能の神の力です。彼は主イエスの愛と期待を受け新しく造り変えられ、教会の柱となる大きな働きを成し遂げました。
ペトロは主イエスを裏切った後、後悔し自分を責めた事でしょう。
しかしそこで終わったら、人間は罪に潰されて落ちて行くだけです。神は私達の汚れを自ら所有してくださり、御霊によって可能性を引き出してくださるお方です。
その為に主イエス自らが、私達の前にお姿を現わし「来なさい」と招いております(35~42節)。
今、自分の歩んでいる路線・起動を外れて、主イエスが歩んでおられる道に私達が自ら出て行く事が必要です。更にその呼びかけに、応答する責任が私達にはあります。
その結果「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造されたものなのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(Ⅱコリ5:17)の如くに永遠に私達の可能性を現実に変えてくださる、神の御業を経験する事ができます。ですから、私達は過去の失敗から立ち上がらせて頂く事ができるのです。
旧約聖書時代、イスラエルの民は神に背き、神のみ言葉を受け取る人・従う人がいなくなった為に、神は口を閉ざされた時期がありました。
私達が生きていくに当って必要不可欠な事は神からのお言葉です。神がその口を閉ざされた時、人は全ての可能性を失い、底に落ちていく人生を歩むしかありません。
英国のある批評家は、主イエスは理想を挙げるだけでなく、その理想を事実として実現する力をご自身の中に持ち、かつ提供される方、という事を言っております。「神に仕える人はどのような業をも行うことができるように十分に整えられるのです」(Ⅱテモ3:17)とありますように、自分の欠点・罪に支配されるようなつまらない人生に終止符を打ちましょう。私達が理想の人になる事ができる、実現する力を持っておられる神にお仕えし、無限の可能性を引き出して頂く1年とさせて頂きましょう。その為にも今一度、私達に与えられた命を見つめ直したいものです。