神の癒しの恵み
ルカによる福音書11章9~13節
>今月は私達が属するホーリネスの群れの「四重の福音」強調月間ですので「新生・聖化・神癒・再臨」を順に学ばせて頂いていますが、今回は「神癒」です。正に神からの癒しです。聖書には「・・・あなたがたの中で苦しんでいる人は祈りなさい・・・病気の人は・・・祈ってもらいなさい・・・」(ヤコブ5:14~16)神癒の恵みを頂く大切な条件は祈りです。神の力を信じて祈る事が求められていますので、改めて祈りについての心構えを共に学びたいと思います。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。・・・自分の子供には良い物を与えることを知っている・・・」(9~13節)神の力を信じて諦めずに切に願った時に応えてくださいます。しかしここで確認したい事は、私達の願い通りに全てが応えられるという事ではありません。親は子どもの事を思い、何でもいうなりにならないように、神も同様に神の判断によるものです。
38年間も患っている病人に主イエスは「良くなりたいか」と問われている場面があります(ヨハネ5:6)。病人が良くなりたいのは当たり前ですから残酷な質問のように思います。しかし、人は病の重圧で不安に陥ったり、遂には諦めてしまう弱さを持っています。主イエスは「痛いか、苦しいか」とは聞かれません。「良くなりたいのか、なりたくないのか」どちらかです。他の場面でも、「私を信じるか、信じないか」と問うておられます。私達は常に「ハイかイイエ」と答えるのみです。信仰の世界は100%信じるか否かです。このように信仰とは私達の感情の働きではなく、神への明確な意志の表明です。
その結果「天の父は求める者に、聖霊をくださる。」(13節)と、約束されています。聖霊とは、神ご自身が私達と共に働いてくださる力です。その事によって自分の全存在をかけて神の声に耳を傾ける事ができます。病の苦しみ痛み、心配からどうしても切り離す事ができずに苦しむのですが、祈りによってそのような不信仰や弱さを解放して頂けるのが聖霊の力です。そうして心の内の深みへと意識できるようにさせて頂ける恵みを頂きます。もう既にこの時から神の癒しは始まっています。パウロの如くに癒されない病もありますが、全存在をかけて切に祈り続けるなら「わたしの恵みはあなたに対して十分である」(Ⅱコリント12:7)という主のお応えをお聞きし感謝できる者となるでしょう。