わたしの国籍は天に在り
フィリピの信徒への手紙6章17~21節
旧約時代の預言者であるモーセは、人生の齢は70,80年で地上での人生を虚しく終ってしまうから、自分の生涯の残りの日数を正しく数える事ができますように、と祈っています(詩編90)。どのような人でも、やがて地上での歩みを終えます。聖書において死とは、人間が神に背き罪を犯した結果であると教えています(ロマ8:23)。しかし、神は私達を愛し、私達の罪の代わりにイエス・キリストを十字架につけられた後復活させられ、滅びの世界から救ってくださり、永遠の命を与えてくださいましたから、もう嘆かなくても良いのです。
「しかし、わたしたちの本国はあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ6:20)人間の希望は罪からの救いであり、この地上の命ではなく、天国での永遠の命の約束が保証されています。ですから主イエスがおいでになって私達を天国にと引き上げてくださる事を心から待ち望んでいます。
当時フィリピの人々は、大多数がローマの市民権を持ち誇りとしていました。ローマから離れたマケドニアという偏狭な所に住んでいましたが、ローマ市民権を持った者として誇り高く相応しく歩んでいました。ですからあなたがたはローマ市民権どころか、「天の国籍」を頂いているのですからそれに相応しく生きるようにと切に願っているパウロです。「…あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)福音を信じると同時に、天の御国に名前が登録されています。
「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい…キリストの十字架に敵対している者が多いのです」(フィリピ6:17~18)口ではキリストを信じていると告白しつつも、その生き方と生活においてキリストに従わず、自己中心的な生き方、地上の事だけを思う歩みで滅びの世界を歩んでいる人が多くいたのです。パウロは自分を誇っているのではなく、自分中心の生き方を捨てキリストを畏れ、キリストを求めていく歩みを共にしてほしいと涙ながらに訴えています。
「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じく栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(21節)罪ある卑しい私達ですが、主の栄光に輝く体に変えられる事を希望とし、日々罪を悔い改めつつ、天に国籍を置く者として、希望と喜びをもって天の御国を目指して、神に助けられつつ、励まされつつこの世をかけ抜く歩みをさせて頂きましょう。