弱さを誇る
コリントの信徒への手紙二 12章9~10節
1.勝敗にこだわる生き方
昔、美空ひばりさんが歌った歌でこういう歌詞がありました。「勝つと思うな、思えば負けよ」という歌です。「柔」(やわら)という歌なんですね。
歌の心は、「無心で勝負しなさい」ということなんでしょうが、勝負の世界で勝利することを願わないことはありえないと思うのですね。何のために訓練するのか?
豊臣秀吉の歌。
負ける負けると思えば負け、勝つ勝つと思えば勝つものなり。
負けると思いて勝ち、勝つと思いて負けることもあれど、
人には勝つものと言い聞かすべし。
さすがに天下人の歌ですね。頭から人を飲み込んでいるのです。
2.強さ、弱さにこだわる生き方
勝つ、負けると同じように、強さ、弱さにこだわる人もいます。強い人間、弱い人間。おもにそれは生き方に関して考えられます。強い人が勝ち、弱い人が負ける。その中でも、「宗教を信じるなんて弱い人間のすることだ」、そういう考え方があります。たとえ困難、艱難、苦悩があっても、自分の力で切り開き、誰の助けも借りない。それが強さ、というわけであります。
同じような論理で、賢さ、頭の良さというのがあります。テストの成績がよいことが、人生の勝利、強さに結びつくというわけです。
今の世の中、強さ、賢さ、頭の良さだけを求めている(効率の良さといってもいいかもしれません)。そのお陰で弱い人、負けていると思っている人、成績が十分でない人、備わった実力を発揮できない人などがいるのです。そういう人が疎外されている。大切にされない。しわ寄せをくっている。 そういう状況の中で、世の中が住みにくくなっているのではないでしょうか? 若者の自殺が増えていると言われます。
3.弱さを誇る生き方
聖書を読みますと、人生の解決が示されていると信じます。人の価値は、見えるものというよりも見えないところにある。人が美しく、偉大なのは、表面に現われているものによってではなく、内側に隠され育っているところにある。これが聖書の教えなのですね。それは人間としての優しさ、思い遣り、心の大きさ、広さが人間の魅力となります。聖書は、負けてもいいんだよ。そう言ってくれるように思います。だから、安心できる。平安なのです。勝つことが当たり前というのは、疲れます。負けるからこそ、弱さがあるからこそ、人間的な魅力、輝きがあるのではないでしょうか?