三つのパン
ルカによる福音書11章5~13節
中近東では古来より旅人へのもてなしは美徳とされ、アブラハムが天使と知らずにもてなしてイサク誕生を確約されて(創18:1~15)以来、イスラエルでは旅人へのもてなしは信仰のバロメータとされた(ヘブル13:2)。今朝、イエスの譬えの主人公は夜中に遠来の旧友を迎えたが、旧友の腹を満たすパンを持っていなかったため、パンを持っているだろう近所の友人宅のドアを叩き、パンを3つ貸してくれるよう懇願した。私たちにもそれぞれ大切な友人が沢山いるが、その大半は未だ主を知らない。遠路遙々私たちを訪ねてくれた旧友は、キリスト者である私たちに一体何を期待してくれたのか。そして私たちはどのようなパンを以て、もてなすべきだろうか。そう!それは私たちにとって最も良いもの、最も価値あるキリストの福音を伝えることである。ところが、しまった!友人をもてなすパンがなかった!そんな経験はないだろうか。私たちは友人の期待に十分応えてきただろうか。十分にキリストを証しすることが出来ず、歯痒い思いをしたことはないだろうか。今、まさにそうであるならば、私たちに必要な「3つのパン」とは聖霊のことである。使徒1:8は私たちが聖霊降臨によってキリストの証人となることが出来ることを示している。清められなければ、何一つ良き働きを為し得ないのだ。聖霊に満たされていなければ、大切な友人にキリストを示すどころか、今!目の前の友人を救うために必要なパン(聖霊)を下さい!と大慌てで(「しつように」とは「緊急性を訴えて」の意)主に祈らなければならない。今朝、その必要を覚えたならばそれは本当に幸いである。
主がお与え下さるパンは以下の3つである。
1)聖霊は「求める者」に与えられる。・・・ルカ11:13、イザヤ55:1-3
2)聖霊は「聞き従う者」に与えられる。・・・使徒5:32、イザヤ55:1-3
3)聖霊は「信じる者」に与えられる。・・・ヨハネ7:39
讃美歌461「主われを愛す」の歌詞4番『我が君イエスよ、我を清めて、良き働きを、なさしめ給え』は、まことにアーメン!私たちの切なる願いである。
どうぞ今朝、主に切に祈り求める者、主の御言葉に聞き従う者、主イエスを全く信じる者となって3つのパン、聖霊をいただいて力強いキリストの証人となり、私たちの大切な友人や愛する家族、そして多くの人々にキリストの福音を宣べ伝え、教会にお招きし、救いの喜びを分かち合う日を願い求めよう。在主