ベツレヘムの星

マタイによる福音書2章1~12節

 ヘロデ大王の時代、ユダのベツレヘムでイエス・キリストがお生まれになった時、東方の占星術の学者達は星に導かれてエルサレムにやって来ました。自分達の今、置かれている場所から飛び出し星に導かれ、救い主の元に辿り着き、ひれ伏し礼拝をお献げしました(10節)。彼らは神の救いを告げる喜びの言葉に従って旅し、遂に救い主イエス・キリストに出会い喜びに溢れました。救い主を尋ね求め、イエス・キリストに出会う喜びがクリスマスの恵みです。
 救い主イエス様のご降誕は人間側が求めたものではなく、神側の一方的な恵みによって定められており、クリスマスに成就しました。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(Ⅰヨハネ4:10)この神の愛に最初に応えたのが占星術の学者達でした。
 同じ救いの喜びの声を聞いてもヘロデ大王やエルサレムの人々は恐れました(3節)。恐れの理由は違いますが、共通する事は自分達が築き上げた地位や安全な生活が崩れる事でした。今の自分を守る事に精一杯な人は神の喜びの語りかけに耳を貸そうともせず、救い主を見出す事はできません。自分で築き上げた物や人間関係を大切にしますが、それは何の保証もない不確かなものです。そこにしがみついている限り不安や恐れは取り除かれません。神が私達の為に備えてくださった救いの道を求める事が祝福の基です。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:17)
 
 神は人間の罪を暴いて裁く為ではなく、私達を愛し憐れんでくださり救う為に、主イエスをこの世に送ってくださいました。主イエスはご自身の身を犠牲にして、その尊い命を私達に与え、夜も眠る事なく身を挺して悪から守ってくださるお方です(6節)。この神の愛に応えない訳にはいかないのではないでしょうか。
 誰にも目に留められない家畜小屋の冷たい飼い葉桶に寝かされた救い主イエス様は、私達が今の生活から飛び出してイエス様の元に救いを求めて来る事を待っておられます。「人間の最上の幸せ」は、この救い主イエス様と出会う事です。