子どもを祝福する
マタイによる福音書19章13~15節
主題聖句 「しかし、イエスは言われた。『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』」 マタイによる福音書19章14節
マタイ・マルコ・ルカの三つの福音書を読み比べてみますと、福音書間に共通した記述が多くあることに気づきます。幾つかの出来事が三つの福音書にほぼ同じ内容で記載されています。その事から、福音書が編纂されて行く過程で、最初にマルコが福音書を記し、後にマルコを参考にしてマタイ、ルカがそれぞれの福音書を執筆したのではないかと考えられています。同じ視点から書かれた三つの福音書ですので、共観福音書と呼んでいます。
「イエスに手を置いて祈っていただくために、(※触れていただくために、マルコ)人々が子供たちを(※乳飲み子までも ルカ)連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。」それはいつの親たちも変わることのない願い、子供の成長と平安を求めての行動でした。しかしそこには親たちの思いを知りながらイエス様に子供たちを近づけることを辞めさせようとする弟子たちの姿も記されます。
ここには我が子の成長をイエス様に願う真摯な親の愛の姿があります。一方、これ以上イエス様の負担にならないようにと、新たな関係を断とうとする弟子たちの愛の姿もあります。弟子たちの行動はイエス様との出会いの喜びを新たな不安と緊張に変え、今ここにいる者たちの心を塞いでしまっています。
「子供たちを来させなさい。わたしのところへ来るのを妨げてはならない。」イエス様はすべてを祝福に変え、神様の愛を示されます。
ここでの弟子たちのような、イエス様のためを思っての行動であっても、“イエス様の祝福に近づくことを妨げる理由とはならない”ということが示されます。この出来事の底辺にイエス様の「憤り」があります。しかし、イエス様は、それをも子供たちへの「祝福」に変えてくださいました。これはすべての人にも与えられた祝福です。子供も大人も一緒に祝福に満ち溢れる。“祝福は増し加え与えられる”ということです。
イエス様の十字架の贖いと罪からの救いが、子供たちの生涯を通して生きる希望と豊かな恵みとなるように、ここに子供たちのために、祝福を祈ります。
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