迫害には祝福の言葉を
コリントの信徒への手紙一4章10~16節
主題聖句 「そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。」 コリントの信徒への手紙一 4章16節
10節では、コリントの信徒とパウロを比較しています。ここは世に在って、と頭に置いて読むべきところです。神のご計画によって、宣教という愚かな手段をもって、パウロは福音を宣べ伝えました。救われたコリントの人々は、今では伝道者を批判するほど賢くなったわけですね、というようなパウロの皮肉とも言えるでしょう。
コリントは豊かな町でしたし、ギリシャ型の文化ですから、労働は奴隷のすることでした。商売をする人々が「働く」というのは、同業の人たちと会って食事をするとか、取引の話をすることを意味していたでしょう。その中で、先生と呼ばれるパウロが、働いて自分の口を養いながら伝道するという姿は見慣れないものでした。立派な教師であるならば、貴族や裕福な商人がパトロンになって、教えることだけに専念するはず、という思い込みがあったかもしれません。労働するパウロの姿が、コリントの中では低く見られる要素になっていたのだろうと思います。
11節からは、パウロが実際に受けている仕打ちであると同時に、どこかその境遇を誇らしく思っているようにも感じられます。「善い事、正しい事を教えるから、教えを守りなさい、実行しなさい、忘れてはいけない」と教える教師は多いでしょうが、「わたしに倣いなさい」と言える教師がどれほどいるでしょうか。パウロの激しい働きを見ると、真似できそうな事は何もないと思ってしまいます。でも、イエス様が、外ならぬわたしのような者のために、十字架にかかって死んでくださった。この事実に対する驚きや感謝は、大伝道者のパウロもわたしも、信仰者なら同じなのではないでしょうか。ならば、信仰者は皆パウロに倣う何かを持っているかもしれないと思います。主に遣わされて愚かに従い、迫害や蔑みには祝福の言葉を返すことで、主に栄光をお返ししましょう。
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