ヨルダン川の向こうにある希望
ヨシュア記3章9~17節 へブライ人への手紙4章14~16節
信仰者といえども困難なことを目の当たりにすると、主の御声に聞き従うよりも自分の経験や考えを優先して前に進めない時があると思います。そのような時にこそ全面的に主を信頼して、敢えて信仰の一歩を踏み出すようにと本日の箇所に記されています。「全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」」(13節)。敢えて信仰の一歩を決断するなら、主の御業を経験させて頂き、今迄見たことのない希望の世界を見せて頂けるのです。一方、祭司たちが濁流の中に足を入れなければ何も起こらないということです。
この時の状況は、ヨシュアに率いられるイスラエルの民が一つの大きな時代の区切りに立っていて、40年間の放浪の旅は終わり新しい時代が始まろうとしていました。目指してきた約束の地はヨルダン川の向こうに広がっていましたが、大きな決断が必要でした。この時期は春の刈り入れの時でレバノン山の雪が解け、ヨルダン川の水かさが増して両側の低地に水が溢れていますから、主の命令は無謀ともいえるものでした。
私たちの人生も立ちはだかる困難を前に、主は敢えて足を踏み入れて向こう岸へ渡ることのチャレンジを求めておられる時があります。しかし、それは孤軍奮闘ではなく、神の御子であるのに弱さを身にまとう人間の一人として、苦しみを味わってくださったイエス様が、私たちの苦しみも理解し助けてくださいますから、大胆に一歩踏み出すことができるのです。「わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。 ・・・だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙4:14‐16)。ヨルダン川=つまり立ちはだかる困難も主と共にあるのです。
私は皆様のお祈りとお支えによって、9年間、所謂、「ヨルダン川の向こうにある希望」を経験をさせて頂きました。戸惑うことや葛藤もありましたが、その度毎に主に後押しされて、信仰の一歩を踏み出すことができた9年間であったと言えます。今後は、日本の地で皆様とご一緒にヨルダン川を渡り、その先にある希望を見せて頂きたいと願っております。
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