イエス様を信じれば良い

コロサイの信徒への手紙2章13~19節

澤田 武師

主題聖句 『これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。』 コロサイの信徒への手紙2章17節
 異端の教えはユダヤ教の影響を受け「イエス様の十字架を信じるだけでは救いは得られない。人間の知恵と伝統である律法を第一に守らなければならない。」と、福音を信じるだけでは、救いを得るには足りないと迫ります。
 しかし、パウロは「あなたがたは、信仰者である」との確信に、コロサイの信徒が再び生きるために、彼らを励まし、異端との闘いに勝利する秘訣を記します。
 14節、「規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」イエス様の十字架は「あなたがたの罪」を全て取り除いて、永遠の命に生きる者と変えてくださった。パウロはイエス様の十字架は既に、公然と全世界に知らされ、それは救いの御業が完成されたということ、信仰の勝利であると記します。
 17節、「これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。」異端は、日常生活の中で、食べ物や飲み物、祭りや安息日にも厳守しなければならない規則があると迫ります。
 しかし、それらは救いを得ることの実体(本質)ではありません。ものの影でしかなく、人の創り出した幻であるとパウロは拒絶します。
 「実体」とは、神様が創造されたこの世界そのものも現しています。そして、この世界の中で営まれる日常をも、神様は創造されました。イエス様は、ここに生きる私たちの、罪の贖いと救いを成就するために、この世の全てに居られます。イエス様は福音の実体(本質)として居られます。
 私たちが生きるこの世界にも、影や幻がはびこっています。実体のないものがあたかも、ここに真理があるように声高に主張しています。
 イエス様はこの世界に、唯一神様の御心、罪の赦しと救いの完成のために神様が与えてくださった実体(本質)です。私たちがイエス様を信じることは、かつてペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です。」と、躊躇なくイエス様に信仰を告白したように、私たちも自分の言葉で、イエス様を告白するも者として歩み続けましょう。
   
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