歩む道に心を留めよ

ハガイ書1章1~6節

澤田直子師

主題聖句 「今、万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に
心を留めよ。」 ハガイ書1章5節

 ハガイ書が書かれたのは紀元前520年、この時ハガイは80歳くらいと言われています。ユダがバビロンに滅ぼされ、そのバビロンがペルシアに征服され、キュロス王の寛容政策により捕囚となっていた人々はエルサレムへの帰還が許されました。神殿の再建、ユダヤ教の復興も許されましたが、キュロス王が死ぬと補給が止まり、ユダヤ人はその日を生きることが精一杯になりました。ユダヤ人たちは、神殿再建は放り出して、自分たちが生きることのみに心を移します。さらにエレミヤの預言を持ち出して、70年の年月が満ちていないので、まだ神殿再建の時ではない、と言い出します。
 かつてユダヤ人は、エルサレムに神殿がある限りエルサレムは落ちないと思っていました。もっと昔には、十戒の石板を納めた神の箱が戦場に来ればイスラエルは勝利すると信じていました。神殿の偶像化、神の偶像化です。そしてこの時代には、自分の生活が第一で神殿どころではないという思いを、エレミヤの預言によって正当化していたのです。
 その民に神様は「自分の歩む道に心を留めよ」と言われます。直訳すると、「現状を、なすべきことを、よく考えよ」というような意味で、今だけでなく、過去に歩んだ道もこれから歩む道もよく考えよということです。神殿再建の望みを失い、その日暮らしのユダヤ人の中からは、これでは苦労して帰ってきても何にもならない、という不満がでました。出エジプト記のつぶやきと同じです。人間は、苦難に遭う時自分の外側にその原因を探し、神様を責めるという愚かさから、なかなか解放されません。
 どこかに出かける時、わたしたちは行く先や目的のことは考えますが、今歩いている道がどんなふうか関心を持つことはあまりありません。現実の生活ではそれで良いとしても、霊的な道の歩き方としてはもったいないと思います。
イエス様は「わたしは道であり真理であり命である」と言われました。神様が備えてくださる道は、同時に真理であり命です。心を留めて歩みましょう。
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