神の子が来られる
イザヤ書11章1~10節
主題聖句 「その日が来れば エッサイの根は すべての民の旗印として立てられ 国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。」 イザヤ書11章10節
イザヤ書は紀元前700年頃の書物です。強大な軍事力を基盤とするアッシリア帝国の支配が確立する時代に、イザヤは預言者として用いられました。人の創り出した偽りの平和(アッシリアの平和)ではなく、創造者主なる「神様に源を持つ平和」が人々に与えられる時を預言しました。
旧約時代は、メシアとは「油注がれた者」と言う意味で、正しい治世を行う理想的な王を示していました。新約時代になると、十字架の死と復活によって人々を罪から救うイエス様こそがこの世界を治める真のメシアであると受け止められるようになりました。イザヤに託されたメシア預言は、約700年後に、イエス様のご降誕により成就しました。
命の無い切り株から芽が萌え出るように、既に消え去ったダビデの血筋(エッサイ)から、救い主がお生まれになる。「ダビデの子ヨセフ、……。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」(マタイ1:20)その夜、家畜小屋でお生まれになった方こそ真の救い主でした。それは世の暗闇に神様の光が灯る始まりでした。しかしそれを知る者はごくわずかでした。
真のメシアは、偏って裁きを行わず、この世の権力に立ち向かい、武力でなく力ある言葉によって永遠に世を裁く方として預言されます。
9節「わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる。」まさに完成された神の国を指し示しています。イザヤ書の預言は、イエス様の到来を告げ、そこから神のご計画が始まり、いずれもたらされる神の国の完成までもが告げられています。
「その日が来れば」イザヤはメシアを見ることは叶いませんでしたが、私たちはイエス様こそ神様の光、平和の君であると知っています。羊飼いたちが賛美を、東方の博士たちが宝を旗印として掲げたように、私たちが生きる場所に、信仰の旗印を掲げましょう。世の暗闇に、神様の栄光が掲げられますように。
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