神の恵みが働く

コリントの信徒への手紙一 15章1~11節

澤田直子師

主題聖句 「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」 コリントの信徒への手紙一 15章10節c
 コリントの教会に限らず、パウロが福音を宣べ伝え教会を建て上げた地域の人々は、それまで多神教の偶像を拝んできた人たちでした。商売がうまくいくように、病気が治るように、と神殿に詣で、自分の都合で拝むのも拝まないのも決められる、そういうことを「信仰」だと思っていました。
 パウロはイエス様の十字架の死と復活を宣べ伝えます。それまでの宗教観とはあまりにも違っていたでしょう。また、パウロの伝道者としての姿も、それまで見て来た偶像の神殿の宗教指導者とは全く違っていたでしょう。
 さて、わたしたちは、十字架の死による罪からの贖いと主の復活を信じているわけですが、それを他の人にうまく伝えられるでしょうか?信仰者にとっての礼拝は呼吸のようなものです。しかし、信仰を良いものとは思うが自分には必要ない、最後に頼れるのは自分だけ、と考える人は多いのです。わたしたちも主を知る以前にはそういう思いがあったのではないでしょうか。
 8節でパウロは自分を「月足らずで生まれたような」と表現します。神様に用いられる準備が何もできていない、整わないままに召し出され遣わされてしまった、ということでしょう。準備が整わっていないと言うなら、ペトロもヤコブもあまり変わりません。神様が用いるとお決めになったら、元が漁師だろうが迫害者だろうが何の影響ももたらさないのです。
 元の十二弟子は、イエス様から「エルサレムにとどまりなさい」と命じられていました。しかし「一人も滅びない」ためには、外に出て伝道する者が必要です。だからパウロが召し出され、用いられました。そのような神様のご計画が、1世紀のコリントでも21世紀の江戸川区でも、途切れることなく働いているのです。
 パウロのように、「わたしと共にある神の恵み」が働くさまを見る目と心を持ち、世に遣わされるわたしたちでありますように祈ります。
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