信仰と、希望と、愛

コリントの信徒への手紙一 13章4~13節

澤田直子師

主題聖句 「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」 コリントの信徒への手紙一 13章13節
 13章に書き連ねられるような愛を、わたしたちは持っていません。人間の表す愛は忍耐強くもないし情け深くもありません。いくらかはそういうところがあるかもしれませんが、神様が望まれるレベルには、質も量も全く足りないでしょう。「愛がなければわたしには何の益もない」(3節)。では、わたしたちには何の益もないのでしょうか。そんなことはありません。ガラテヤ2:20「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」信仰者は世を歩む時にもキリストの新しい永遠の命を生きているからです。
 パウロは、良い物を与えられても一部分しか理解できない、一部分しか役立てられないわたしたちの欠けを、幼い子どもにたとえます。また、その視野の狭さを「鏡におぼろに映ったものを見るようだ」と言います。けれどもそれで終わるわけではない。「その時には、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」のです。どのような信仰者も、神の御前には発展途上です。「悔い改め」とは、できあがっていない自分を知り、神様に造り上げていただくために明け渡すということです。
 「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る」と言われると、日本語の受け取り方としてたとえ全てを失っても、最後まで残るもののように感じられます。しかしパウロが言いたかったことは、信仰者が成長し豊かになり、幼子のようではなくなっても信仰と希望と愛は残る、ということです。信仰と希望と愛は信仰者の土台であり柱です
 最も大いなるものは愛、とありますが比較ではありません。神の御手の中で信仰と希望と愛は区別されません。イエス様が「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われる時、これらを別々のものとは考えないでしょう。愛が大いなるものと言われるのは、最も表しやすいからです。わたしたちが持つ財産は「信仰と希望と愛」でありたいと願います。この宝物が信仰者の中に輝きますように。
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