永遠に存続するから
コリントの信徒への手紙二 4章16~18節
主題聖句 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」 コリントの信徒への手紙二 4章18節
2025年の教会標語聖句をこの年最後の礼拝で分かち合いましょう。この御言葉はご葬儀や「聖徒の日」によく読まれます。中世の修道院の挨拶に「メメント・モリ」(死を覚えよ)という言葉があったそうですが、生と死は一枚の紙の裏表のようなもので、別々にすることはできません。
聖書で教える「死」は神さまとの完全なる断絶で、神さまの方からは決して行われません。人間の自我が、自分の願いをかなえてくれない神さまはいらない、と拒絶するのです。自覚してもしなくても、人間は罪と無縁に生きることはできません。そのことに気づき、十字架を自分のこととして受けとめた時、死は光に変わります。これをコリント二 4:10では「死ぬはずの身にイエスの命が現れる」と表現しています。
それでも見えるものでさえちゃんと見ないわたしたちは、どうやって「見えないものに目を注ぐ」のでしょうか。大切なこと、大切な人と思い定めているのに、心を留めることもなく通り過ぎてしまう過ちの何と多い事か。時を戻すことはできませんから、ちゃんと見ようとするほど、見なかったことに気づき心を痛めることになります。
テサロニケの信徒への手紙一 5:16~18「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」この御言葉を自分の歩む道の光としている信仰者は多いでしょう。これが見えないものに目を注ぐには?という問いへの答えだと思います。
神さまが最善をなさることを信じて、ただ喜び、祈り、感謝する。主の愛と慈しみは永遠ですから、永遠を知らない人間はただ主により頼みます。主を知るほど感謝すべきことが示されます。喜びも祈りも感謝も、主の御手のうちでは永遠に存続します。この一年の主の守りと導きに感謝しつつ、新しい年に向かって歩み出しましょう。
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