命と平和のため
マラキ書2章5~7節
主題聖句 『レビと結んだわが契約は命と平和のためであり╱わたしはそれらを彼に与えた。それは畏れをもたらす契約であり╱彼はわたしを畏れ、わが名のゆえにおののいた。』 マラキ書2章5節
『平和聖日』(日本基督教団教会行事)は、核兵器の廃絶と世界平和の実現のため、祈り覚えて共に礼拝を捧げる聖日として制定されました。真実の平和は、神様との交わり無しには存在しません。平和を祈り求めるクリスチャンの姿は、神様の平和により頼む者たちの姿であります。
私たちはイエス様の十字架によって、神様への道が開かれ、直接神様と相対することができるようになりました。私たちは皆万人祭司とされたのです。
5節「レビと結んだわが契約は命と平和のためであり╱わたしはそれを彼に与えた。」神様の契約は、「命」と「平和」であり、一方的にあなたたちに与えると宣言されます。それは永遠に変わることのない、神様ご自身のお姿を現わすものです。神様は自らに誓って、私たちと約束を交わしてくださいます。
与えられた「命」とは、私たちがこの世界に存在する根拠です。私たちがこの世界で最も充実した状態で生きるということです。
また、与えられた「平和」とは、神様との良好な関係の状態にあることです。「平和」は「救い」とも訳される言葉です。イエス様の十字架は罪を贖い、永遠の命と救いが確かにあることを、私たちに分からせてくださいました。
5節、「それは畏れをもたらす契約であり╱彼はわたしを畏れ、わが名のゆえにおののいた。」当時の祭司たちは形だけの礼拝を捧げていました。真に神様を求める者は「畏れ」を知ります。「畏れ」とは、神様から命じられたことをそのまま、真面目に、真剣に受けとめることです。御言葉が語られた時に、それを人間の言葉ではなく、事実、神様のお言葉として心から受け入れることです。
私たちは自分自身の中に与えられた、神様の命、平和を直接見ることはできません。しかし、既に私たちの細胞の中にも神様の命、そして平和は確かにあります。神様は無条件に徹底的に私たちに迫ります。神様に従うことを迫ります。既に私の体にも、神様の命、平和があることを信じて、神様の前に、世に出て行きましょう。命に生かされ、平和を祈る者として歩み続けましょう。
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