神の栄光を現す

コリントの信徒への手紙一 6章12~20節

澤田直子師

主題聖句 「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」 コリントの信徒への手紙一 6章20節
 6章は、教会の中で、教会員同士の裁判が起こされたことをパウロが嘆く
ところから始まります。裁判の内容については不明ですが、コリントのことですから商売上の損得について、手っ取り早く裁判に訴えて解決しようという考えがあったと思われます。15節からは「娼婦」という言葉がでてきますが、これは偶像崇拝の神殿にいた神殿娼婦のことを言っているのではないかと思います。紀元1世紀では、飢饉や天災になすすべがなく、豊穣を祈る偶像の神殿が各地にありました。ですからパウロが言いたいのは、性的な乱れというよりは、偶像の神殿と結びつき、金銭を捧げるような愚かな真似をするとは、という憤りだったでしょう。
 コリントは豊かな交易によって栄えた町です。各地から偶像が持ち込まれ、信仰と言うよりは商売上のお付き合いとして、気軽に偶像崇拝が行われたのかもしれません。そうしてうまく運んだ商売で儲けたお金を献げて教会が運営されているのだというような高ぶりがあったのかもしれません。
 19節の「知らないのですか」という問いは、「知らないはずはないですよね」というように読み取る方が良いでしょう。コリントの信徒たちは、主の十字架の贖いを信じて神様の取り分、僕となっている。そのことを理解して信じていると言いながら、福音を知る前と同じ考え、同じ生活を続けて、それで良いのですかという問いです。
 パウロは教会に集う者たちは「神の神殿」だと言います。わたしたちの心には王様の椅子があり、イエス様の十字架を知る前は、自分が王様として座っていました。しかし主のものとなった時、王座を明け渡しました。そこに座るのはイエス様です。王座の前に立ちふさがったり、王座の後ろに隠れたりしていないでしょうか。信仰により、王の隣に胸をはって立ち、「このお方こそがわたしの主です」と誇らかに証する歩みでありますように。
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