純粋で真実のパン

コリントの信徒への手紙一 5章4~8節

澤田直子師

主題聖句 「だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」 コリントの信徒への手紙一 5章8節
 ユダヤ社会で大切に守られた過越祭では、その前に「除酵祭」という7日間がありました。この間は家中から酵母を捨てて、種を入れないパンを食べました。出エジプトの故事から出たものですが、神に従う時には正味の自分で、すぐに立ち出でなければならないことを示しています。
 パウロはコリントの教会で実際にあった不道徳な事件を知り、そういう事があって、しかも教会はそれを止めようとも正そうともしないのに、キリスト者であることを誇っているのは良くない、と注意します。聖書ではしばしば、良くないことが入り込んで信仰者を変質させる様子を「パン種」にたとえます。当時のパンに入れられたのは天然酵母で、花の蜜や果汁から採れたものを発酵させて練り粉に混ぜ、それを焼く時にはひとつまみ取っておいて、次の練り粉に混ぜて使いました。悪いものも、そのようにして次々に受け継がれ、人の霊を変質させてしまうのです。
 人間の心には、自分を正しいと思いたい、自分は悪くない、間違っていない、それを時には力で押し通そうという黒々とした影があるものです。それが同じ人間に向けられても、相手を傷つけ自分の価値を下げるものですが、ましてや神に対してだったらもう致命的です。聖書はこの黒い影をパン種にたとえているのです。
 イエス様は「わたしが命のパンである」(ヨハネ6:34)と言われました。イエス様ご自身が、過越の贖いの子羊であり、種入れぬ純粋で真実なパンです。世界中の教会が、その印を誰にでも見えるように、十字架を高く掲げます。主の深い愛にかけて、悪意と邪悪のパン種を取り除き、純粋で真実なパンとして、最後には主の御前に立つ幸いを得ることができますように祈りつつ世に歩み出して行きましょう。
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