神の知恵、義と聖と贖い

コリントの信徒への手紙一1章18~31節

澤田直子師

主題聖句 「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」 コリントの信徒への手紙一 1章25節
 初代教会の時代、キリスト教への迫害は、ローマよりもユダヤ人からの方が激しいものがありました。ユダヤ人は、誰が見ても一目でわかるようなしるしを求めていました。火の柱・雲の柱のような、偉大な御業をなさる神の選びの民としてユダヤ人が存在することを証ししたかったのです。一方、ギリシア人が求めたのは論理と証明でした。人間の知恵を用いて誰もが納得するような、論理的な救いがあるはずだと考えました。
 しかし神の知恵はそういうものではなく、人間にとっては不思議な理解できないものとして現わされました。
 福音書には「宴会のたとえ」があります。ルカ14章に、宴会を開く人への勧めとして、お返しのできない貧しい人を招きなさい、とあり、続いて大宴会を神の国にたとえています。この宴会に招待していた客は、いざ迎えが来た時、世の用事を優先して断ります。宴会の主は僕に「広場に行って、貧しい人や不自由のある人を連れて来なさい」と命じます。
 つまり、福音に招かれた者がみな、福音を受けるわけではないのです。この世のことに心を奪われていて、あるいは自分で宴会に入る資格を得ようとして、「今ではない、いずれまた」と考えます。しかし広場で顔を伏せていた人々は、こんな幸運があるだろうかと思うでしょう。ダメでもともと、行ってみてもし追い出されても、それは元に戻るだけです。神様は準備万端整えて、全ての人を招こうとしておられます。また、招待客を案内する僕をお選びになる時も、26節にあるように、世では低いと考えられる者をお用いになります。「神の知恵、義と聖と贖い」これは全てイエス様のことです。わたしたちの持っているものは一つもありません。神の知恵としてイエス様が来てくださり、信仰のゆえに神の御前で義とされ、清められ、贖われているのです。神様のお招きを喜んで受け、満たされて、世に遣わされましょう。
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