永遠に続く恵み
詩編111編
主題聖句 「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。」 詩編111章10節
主の恵みを主題とした詩編です。「恵み」はギリシャ語で「カリス」ミッションスクールの名前などで耳にしたことがあるかもしれません。もともとは愛らしいとか魅力的な様子を表す言葉でしたが、パウロの手紙以降は、神から与えられるものとして深い意味を持たせるようになりました。
ウェスレアン神学事典では「罪ある人に対する神の自発的な、しかも功績を求めない愛のことである」と定義されています。イエス様の十字架の死と復活の中に完全かつ最高の形で示されます。旧約聖書では祈りの言葉の中で「そうしていただく価値のない者ですが、もし神の御心に適うならば」と祈る時の「お心」が「恵み」に通じる言葉だそうです。
これは神様がくださるものですから、時にはわたしたちの理解がおよばない形でもたらされます。今では世界がお祝いするイースターでさえ、その朝は驚きと恐怖、不信仰の日として始まりました。その弟子たちにイエス様は「あなたがたに平和があるように」と現れてくださったのです。
わたしが願う形で、わたしが願う時に、と恵みを求めるのなら、それは偶像礼拝と変わりません。2節「主の御業は大きく それを愛する人は皆、それを尋ね求める。」信頼して尋ね求めることを宣言しています。
神様がどのようなお方なのか、多くの言葉で表されます。全知全能、アガペーの愛、創造者であり支配者である、その慈しみは決して絶えない、などなど。しかしわたしたちにはないものばかりですから、分かりようがありません。それでも神様の愛は、さまざまな出来事を通して、わたしたちの歩みの中に現れてくださいます。「神」は名詞ではなく動詞です。常に働きかけ、変化させ、関係を作り、応答を求めます。神に属する「永遠」や「恵み」も動詞です。この動きを受け、感謝と賛美の歩みとなりますように。
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