イエスの御名をほめよ

コロサイの信徒への手紙3章12~17節

澤田 武師

主題聖句 『そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。』 コロサイ3:17
 「神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されている」とは、元々ユダヤ人自身が自らを表す言葉でした。ユダヤ人は、神様の選民であると自負し、それ故に、自分たちは神様から愛されている、特別な聖なる民族であると信じていました。
 しかし、パウロはこれらの言葉を、コロサイの信仰者に用います。なぜなら、神様が創造された世界と、ご支配されている歴史の中において、ユダヤ人の歩みは神様の選民にふさわしいものにはなり得なかったからです。
 神様のご計画の最終目的はイエス様の十字架の罪の贖いによる救いであり、イエス様の十字架のみを信じる者を神様は愛されました。それは、「古い人」を捨て去り、「新しい人」として生きる、信仰生活の実践として記されています。
 コロサイの信仰者の心に御言葉が福音として定着することが、何より大切であると確信するパウロは、イエス様の御言葉に聞き、教会の働きとして分かちあう信仰者となって、確信をもって歩むことを求めています。
 「新しい人」としての勧めは「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」これらの心は、人と人の間にあるものです。それは人間社会を整える言葉ともなります。「主があなたがたを赦して・・・、あなたがたも同じようにしなさい。」互いに忍び合い、赦し合うところに、教会は立ち上がりました。
 初代教会から、礼拝では賛美を献げてきました。御言葉への応答、感謝、励まし、喜びの言葉として兄弟姉妹が共に歌ってきました。その豊かさは現代の教会に集う私たちへと続いています。
 不安の中にある時、イエス様の御名は、豊かな恵みを知る鍵となります。イエス様の行いを学ぶことは、信じる者に確かな道を選ばせる導きとなります。
 「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」16世紀の宗教改革者は、この御言葉に立って、プロテスタント教会を作り、その信条として、信仰は聖書のみ、救いはキリストのみを、命を懸けて宣べ伝えてきました。その思いは今私たちの教会にも伝えられています。イエスの御名を、褒めたたえつつ歩む一週間でありますように。感謝をもって共に歩みましょう。
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