内なるキリスト
コロサイの信徒への手紙1章24~29節
主題聖句 「この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」 コロサイの信徒への手紙1章27節
パウロには生涯忘れられない記憶がありました。それは、かつて「サウロ」はイエス様を信じる者の迫害者だったという「苦しみの記憶」です。復活のイエス様との出会いが、迫害者「サウロ」を、十字架の福音を宣べ伝える者「復活のイエス様の救いの恵み」に生きる者「パウロ」へと変えてくださった。
イエス様のお名前によって「苦しむ者」とされたことは、福音に仕える使徒としては必然であり、喜びです。さらに復活のイエス様を信じて、コロサイの教会がこの世に誕生した。パウロは手紙を書くことを通して、今は会うことは叶わくともコロサイの教会の兄姉と共に歩む喜びを感じています。
27節「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」イエス様の十字架の贖いと復活、神様の救いのご計画が示され、それは聖なる者たちだけでなく異邦人にも知らされた。その中に、私たちの信仰生活もあります。24節「キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」不思議なお言葉です。イエス様の十字架のお苦しみが足りなかったということではありません。
聖霊が降り、イエス様の十字架の贖いと救いを信じた者たちが集められて、世に教会が誕生しました。教会はイエス様の十字架が何のためだったかを知る者たちの集まりです。教会はイエス様の苦しみと祝福とを世に伝えるために立ち続けます。主の十字架を「伝える」ことが信仰者に託されています。
私たちは、決してイエス様のお苦しみの全てを知ることは出来ません。せめて「イエス様のお苦しみと恵みをこの身によって現わすこと。」これが私たちに求められる信仰者としての姿の一つではないかと思います。パウロは地上の教会に仕え共に歩む者として、主の家族と共に歩む者として、手紙に記します。
十字架のイエス様を忘れるな。その苦しみを忘れるな。イエス様のお苦しみがあるが故に、私たちは十字架の贖いと救いを見たのです。内なるキリストが居られることを知ったのです。
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